2022年シーズン、日本ハムのビックボスこと新庄剛志監督(49)が五十幡亮汰選手(23)を4番候補にあげていることが判明しました。
陸上でサニブラウン選手に勝った男として知られる球界No1といっても良い俊足の五十幡亮汰選手。
陸上からのスカウトを断ってまで、プロ野球選手になるという亡き母との約束を見事叶えプロ野球選手になられました。
今回は、五十幡亮汰選手の経歴、亡き母との約束について紹介していきたいと思います。
【#日刊北海道1面】
新庄式の4番が新常識に⁉️
日本ハム新庄剛志監督が4番候補に「サニブラウンに勝った男」五十幡亮汰選手をリストアップ☑️本日、北海道版1面📰
条件である「俊足の左」に合致する担当記者選定4番候補も✨
その1人、上原健太選手の話題は18面📰#新庄剛志 #五十幡亮汰 #lovefighters pic.twitter.com/o0VJOTxDPR— 日刊スポーツ北海道整理部 (@kita_nikkanedit) December 9, 2021
プロフィール
名前:五十幡 亮汰(いそばた りょうた)
生年月日:1998年11月26日
出身:埼玉県行田市
身長:172㎝
体重:67㎏
投打:右投左打
ポジション:外野手
出身校:
- 行田市立東小学校
- 行田市立長野中学校
- 佐野日大高校
- 中央大学
所属チーム:
- 行田東フェニックス
- 東京神宮リトルシニア
- 佐野日大高校
- 中央大学
- 日本ハムファイターズ
サニブラウンに勝った男
日本の陸上界を代表する選手と言えば、まずサニブラウン選手が思い浮かぶのではないでしょうか。
サニブラウン選手は中学時代から全国でも有名で優秀な成績を残していました。
2013年全日本中学校陸上競技選手権、サニブラウン選手は中学3年生として大会を迎えました。
そのサニブラウン選手を抑えて100m・200mの2冠を果たしたのが五十幡亮汰選手だったのです。
中学時代、2冠達成と輝かしい成績を残した五十幡さんですが、高校以降、陸上界では彼の名前を聞くことは」ありませんでした。
陸上界期待の選手に何が起こったのか、いろいろな噂がながれました。
五十幡さんには陸上の有名校10校以上からオファーが来ていたそうです。
しかし、彼が選んだ道は
「高校では陸上をしません。僕は野球をします。」ときっぱり陸上を辞めていたのです。
なぜ?と思われる方も多いと思いますが、そこには母との約束があったのでした。
亡き母との約束の手紙
埼玉県行田市で生まれた五十幡さんは、小学1年生の時に、行田東フェニックスに所属し野球を始めます。
お母さんは五十幡さんが野球をする姿を見ることが大好きでした。
ヒットを打つたび、飛び跳ねて喜んだそうです。
しかし、五十幡さんが小学校に上がる少し前に、体調を崩したそうです。
病状は、末期のガン。厳しい状態だったそうです。
お母さんは、子供達を悲しませたくない思いから、ガンであることを伝えないことを夫と約束したそうです。
お母さんはガンと闘いながらも、可能な限り応援にかけつけたそうです。
「僕、絶対プロ野球選手になるから、お母さん絶対試合見に来てね。」
と約束を交わしたそです。
五十幡さんが小学2年生になるとお母さんの病状は悪化、入退院を繰り返すようになりました。
そして五十幡さんが小学3年生の時、一時退院を許されたお母さんは、自宅
のベッドでわが子と一緒に寝ていました。
そしてそのまま、わが子の隣で静かに息を引き取ったのです。
悲しみに暮れる五十幡さんは、続けてきた野球も辞めようかと思っていました。
しかしお母さんの死から3 日後、生前お母さんが残してくれた手紙を見つけます。
『お母さんは野球をしている亮汰が大好きです。頑張ってプロ野球選手になってください』
その時、五十幡さんの夢は決まったそうです。
五十幡さんは将来を見据えて、硬式野球の東京神宮リトルシニアに所属。
さらに、野球のプラスになればという思いで学校の陸上部にも所属しました。
その結果、陸上競技でサニブラウン選手を抑え全国優勝を果たすのです。
「僕にはお母さんとした約束があります。なので迷うことはありませんでした。僕には決まった道しかなかったのです」
当時、多くの人が知らなかったお母さんとの約束の手紙があったからこそ、陸上で頂点を極めて、有名校10校以上からオファーが来ていても、迷いなく野球に打ち込むという選択ができたのです。
陸上の2冠達成と同じ年に、野球の方でもアジアチャレンジマッチ2013 年、U15の侍ジャパンにも選出されていました。
高校は、強豪校の佐野日大高校に進学するも甲子園に出場することはできませんでした。
高校でのプロ入りは叶わず中央大学に進学しすぐに中心選手として活躍。
自慢の俊足と強肩が特徴で、ドラフト候補選手として名前があがるようになりました。
そして、2020年10月26日ドラフト会議で五十幡亮汰選手は、日本ハムから2位指名を受け、プロ野球選手になるという母との約束を果たしました。
家族への恩返し
五十幡亮汰選手が中学時代に所属していた東京神宮リトルシニアは、自宅から車で約1時間かけて通っていました。
練習がある日は朝の4時に家を出ることもあったそうです。
お父さんは仕事で疲れていても、五十幡さんを練習場へ送り迎えしてくれました。
お母さんが亡くなった後、父・姉・五十幡さんの生活は、いつの間にか野球中心の生活になっていました。
「僕中心の生活になってしまったせいで、姉は休みの日でも父と一緒に出掛けること
ができなかった。父と姉には大変な迷惑をかけてきました。必ずプロ野球選手になって、
恩返しをしたい気持ちでいっぱいです」
とコメントされています。
五十幡さんは、お母さんとの約束、そして家族への恩返しの気持ち忘れず、強い気持ちで夢に向かいき進み続けたからこそ、プロ野球選手という夢を叶えられたのでしょう。
陸上の世界を蹴って、8歳で天国に行ってしまったお母さんとのプロ野球選手になる約束を果たす為に、野球の道へ。そしてプロになり、母の日にプロ初ヒット、盗塁2つ。最高過ぎる。
頑張れ五十幡亮汰⚾️#lovefighters pic.twitter.com/HHlIR6sCtD— 怪盗ザ・デッドボール (怪盗銀次郎)😈 (@thedeadball) May 9, 2021
まとめ
今回は、今注目があつまっている、五十幡亮汰選手の経歴、亡き母との約束について紹介していきました。
五十幡亮汰選手は、大好きだったお母さんと悲しい別れを経験したことで、くじけそうになった時期もありましたが、強い気持ちで努力を重ね夢を叶えた五十幡亮汰選手に本当に感動しました。
これからも、母との約束、家族が自分たちのことは後回しにしてまで、自分をサポートしてくれた、恩返しの気持ちを原動力に野球界を盛り上げていってほしいと思います。